公表されたことについて、その時には「公表されたのか」程度で、事件そのものが見てる側にも辛すぎたので、あまり考えてはいなかったのだけど。

実はこの実名公表には反対が、特に遺族の方々からあって、本日、そのために集めた署名を提出予定だったという。その前日に公表に踏み切るというこの行動には大いに疑問を感じざるを得ない。

公表した時のその理由が、「事件の重大性や公益性を考慮した。」「匿名にするといろんな臆測が広がり、間違ったプロフィルも流れる。それで亡くなった方やご遺族の名誉が著しく傷つけられる」となっている。

メディア側は、事件後一か月以上経って、被害者の氏名公表もないのは極めて異例で、事件の全容を明らかにするためにも、公表は必要だという立場である。

「事件の全容」とやらが必要だというのはまぁ理解したとしよう。が、そこに被害者の氏名がどう絡んでくるのか、よくわからない。事件の「重大性」はともかく「公益性」というのもまた不明。何かいいことがあるのか?「憶測」については、たとえ実名が出ても、その先にも必ずついて回り、絶えることはない。

すなわち、こんな風に抜き打ち的に敢えて公表する理由は希薄だ、と僕は思う。むしろ、またしても被害者遺族の方の自宅にレポーターとやらが押し寄せ「今の気持ちは」とか、神経を逆なでするような質問を浴びせる危険が高まったと言える。彼らは普段通りに家を出て、出勤しただけのはずなのだ。それを「この日、彼はこんな様子で、こんなことを言って・・・」とか。「ご家族はこんな風に感じている」とか。そんな要らない情報をほじくり返すことが「事件の全容の解明だ」とか、「事件を風化させない」とか、大きな顔して言っちゃうんだ。それが相手をどれほど苦しめているのかもわからずに。いつまで繰り返されるんだろう?